昭和49年08月19日 朝の御理解



 御理解 第36節
 「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。」

 それこそ八百の神々様と言う様に、何様もない。拝ませて頂くと言う事が信心深いんだというような考え方をしておる人もあります。矢張りあの教祖様でも始めの間はそうでお在りになった。どこのお寺さんどこのお宮さん。それこそお伊勢様にもお参りになるかと思うと、御四国八十八ヶ所も巡拝されるという。とにかく拝むと言う事。もう神仏というものを、そのように尊ばれたと言う事です。
 だんだん神様に直接お知らせを頂かれるようになって、いわば天地の道理、または天地の御恩徳といったようなものが分かられるようになり。御恩徳に対し神恩奉謝の心を捧げられる。しかも実意丁寧神信心をなさった。天地金乃神様との出会いという事になり。その、(   )の道理、いわゆる天地の道理と言う所から、御教えを説き明かされるようになられた。その天地の道理を、ここには説いてある訳です。ね。
 それをここではあの人にものを頼むにも、一人に任すとその人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば相談に暮れて物事計どらず、という道理に基づいて説いておられる訳です。ね。そこで最後にいわば草木の芯を例えて、草木でも芯と言うたら天に向かうておる。その芯と言うたら一つなのだ。だからその神様へ向かうその一心をです、貫く言うならその証を立てる私はもう貴方御一方だと。もう貴方御一人にお任せし又はお願いを申し上げるより他にありませんという、その証を立てて行くんだ。
 そこからです、ね、物事相談に暮れてはかどらずというのではなくてです。ね、いわゆるその方が、ね、一心に打ち込むから、また神様も一心にその氏子の為にお働き道理ではないかと言っておられる訳です。ね、これは決して神仏を軽蔑したり、疎かにしたりするという事じゃない。芯、言うならば自分の生き所。自分の願うのは貴方御一身。お任せするのは貴方御一身。誰にでも任せよったら大変ですよね。
 そこんところをまあ、こういう一つの道理を持って説かれておる訳であります。今朝は私は御祈念中に、あの森進一と言う事を頂いた。流行歌手ですね森進一という歌手がおりますね。それからこの36節を頂いておる訳ですけれども。草木でも芯と言うたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すとすぐにおかげが受けられると言う事から、森進一というのが、どう言う様な関わり合いがあるのだろう。
 一心とは言うならば神様と一心になる事です。ね。言うならば金光大神と一心になる事です。ね。親先生と一心になる事です。天地の親神様金光大神、親先生というものはこれはもう、一環したものなんです。ね。私は森という字は木を三つ寄せてある。ね。ですから、木は心ですから三つの心が一つになる。そしてしかも進むと言う事だと思うんです。進一とは、一つの所へ進むとこう、言う事になるでしょう。進むの一つ一と書いてある、横一。昨日のお月次祭にも皆さんに聞いて頂きましたように。ね。
 基礎だけをして、言うなら家を建てるなら事業だけをして、もし家が建てられなかったり、建てなかったりするほど、残念な事はありませんわね。家を建てるつもりで基礎をしたり、事業もついた。もう、ですから愈々建ち上げるだけになっておるにも関わらず、建ち上げる事が、建ち上げる事を出けなかったり、またはそれを建ち上げる事をしなかったら、残念です。
 椛目合楽を通して二十五年間という間、言うならばお徳を受けて行く、基礎造りの二十五年間であったと。ね。皆さんの信心もですそれは、ね、一年の人も、五年の人も十年の人も色々ありますわ。けれども一応はです合楽の信心が、ね、自力的な信心から他力的な信心へ転向している進んでいると。ね。そこで私が皆さんに一応は合楽に今御神縁を頂いておる皆の人がです、自分がおかげを頂いておるという事実を、確認せよと言っておるです。自分がおかげを受けておる、自分一家がおかげを受けておる。ね。
 それを極楽の確認という風に言っております。なるほど御信心をさせて頂くようになったら、ね、家の中に病人がいなくなった。ね、貧乏する事が無くなってきた、争いが無くなってきたと言う様な、所謂真善美の世界に住まわせて頂けれるようなおかげを、それは極楽にもピンからキリまでありましょうから、それはもうほんの序の口ではあるけれども、所謂極楽のおかげを受けておるという一つの確認を持てと。ね。
 そこからです、ね、言うならば基礎は出けたのだから、その上に打ち建てて行くという事はどういう事かと言うとです。ね。合楽示現活動に参画すると言う事だと。ね。今合楽の親先生が口を開けば言う事は、合楽示現活動という事である。そこで合楽の親先生が言う、言うならばその心と一つになると言う事なんです。ね。それは金光大神の願いでもあり、天地金乃神様の言うならば悲願でもあった。ね、
 それを金光大神のお取次ぎによってです、私共がようやくただ力もなし、徳もなしに言うて周った所で、ね、宣伝して周った所でです。助からなかったら人は(    )。ところがそういう、例えば二十五年の間にです、まあ信心のおかげを光と言うならばです、その光を二十五年の間に、溜めに溜め抜かせて頂いて、ね、それが爆発的にその光を周囲に広げて行こうという、言うならば光臨の世界。世界の輪を広げに広げて行こうという運動が合楽示現活動と言う事なのです。
 だからその事に一心にならなければならない。一つの心にならなければ、おかげはすぐにおかげが受けられるというおかげになって来ないと言う事です。何時も合楽と共にあると言う事です。いつも合楽の親先生の心と一つにある、であるという事なんだ。ね、なるほど、森進一であります。いやもう私は、もう家は金光様に決めてあるから、もう開式もしとるし。ね、もう金光様一本だと言うとってもです。
 神様の心と一つになって進んで行かな、その事一つに掛けておるでなからなければ現在合楽で言う、一心になっておるとは言えんのでございます。そうでしょうが皆さん。ね。そういう例えばね、森進一で進んで行くね、天地の親神様と金光大神と氏子の心が一つになる。しかも一つになっただけじゃなくて、そしてそれを押し進めて行く。いわゆる、示現活である。そこには神と人とのあいよかけよの働きがね。
 渾然と一つになった。ね、融和の世界があるね、そしてそれが一つのね、団体と言うか、合楽全体が火の玉のようになって、その事に突き進んで行くと言う事なのだ。森進一という事。だからどうでも私が言うておる事に参画させて下さいという願いをもたなければいけないと言う事になります。参画という事は、昨日も申しましたように。昨日参画なんじゃ分からないという人があるので、私も本当の事が分かりませんので、ただ参画と言う事を神様に頂いただけ。または示現と言う事を頂いただけ。
 示現とはどういう意味いう意味かと言うと神仏が、ね、不思議な働き霊験を示し現す事が示現だと。参画とは、ね、神様の計画に、ね、預からせて頂く。神様の計画に預からせて頂くと言う事が、参画と言う事なんです。素晴らしいですね、だから皆さんどうでも合楽示現活動に参画させて下さいという願いを建てる所からです、ね、参画に預からせて頂くことが出けるのです。ね、おかげに預かると申しましょう。いわゆるそういうおかげに預からせて頂く事が出けるのです。
 そこに至った時に、ね、いわば神と一心金光大神と一心所謂森という字が出ける訳です。ね、それをいわば突き進めて行こうと言うのです。どういう風な進め方かと言うとです。その目的を完遂する事のためには、目的を完遂して行く事のためには、手段を選ばんと言った様なね、野蛮な生き方ではなくてです。どこまでも全部が助かる。皆が助かる。昨日その事をある人間、いわゆる三角関係の事についてお話しましたね。その三角関係にあるその三角の人が、三人が三用助かって行く道が金光大神の道なのである。
 世界平和を唱えさせて頂いてその世界平和にです。世界真の平和に邪魔なものがあるなら、言うなら邪魔なものは殺せといったような生き方ではです。ね、それは必ず哀れな事になるのだ。私は昨日、一昨日そのお話をしましたですね。目的完成の為には手段を選ばんと言った様な生き方はもう絶対に、ね、悲しい事になり、終わってしまうのであり、本当の成就にも見らない、見らないという事。
 その御理解を頂いて、吉井の羽田野さん帰られてから、ちょっとあのテレビをのスイッチを入れられたらね、何か洋画のねのその題名がバッと画面に出て来た。その画面に出て来たその洋画の題名がね。野望ね人間の持つ色んなその野望です。野望は何か野望はもう、野望は何とかなとか言っておられました。私はそれを聞かせて頂いて、羽田野さんが感じられたように、もうハー本当に確かに今日親先生が仰った通りだと。ね。
 野望をいかにも達成した様にあるけれども、それは結局哀れな結果にしかならないという意味の題名だった。私はつい最近です。もう私は共産党というのがもう大体もう無視が好かんとです。けれども最近私が思わせて頂く事はね、共産党は素晴らしいなあと思います。共産党のおかげでなあと思う事があるです。それは私共が例えばあのなら酒屋の小僧時代からいわゆる番頭を7年間そういう勤めをさせて貰いましたが。
 あの時分の例えば言うなら店主と使用人というのは、もうそれこそあの何と申しますかね。もう本当に哀れな事でしたよね。(じむしと、こさるが?)もうそれこそ、あのどうにも出けない、その関係にあったようにです。もうそれこそ哀れな事でしたよ。まあ余談ですけども、私十五の年に酒屋の小僧に参りましてから、行って翌日です。そこの娘さんが女学校に行きよりましたが。私にねその毎朝あの毎朝じゃないけれども、靴を磨いてくれって言う。もう私はそん時にもう本当涙が流れたです。
 けれどもこれが矢張りあの、他人の飯を食うという事だろうと思うて。だから私は明くる日からもう言われてからでは、もう尺に障るからもう言われる前に必ず昭和女学校という学校に行きよりなさいましたから四年したか。もう必ずあの言われる前に靴を磨きました。ね。もうそれは使用人として当たり前の事のように、あのあった時代なんです。今は、反対に使用人様様で、言うならば、ね、使用人の対偶が悪いともうその店主の方が頭下げんならんという時代だけれども、それはもうそれを本当だと思うです。
 仕方がない。そう言う様な事になって来たのも、これやはり共産党のおかげだと思うです。だからんなら、ね、共産党もなからなきゃいけない、言うならば自由党もなからなければならない。いわば今度例えば、第三時世界大戦があるとするならば、んならもう核戦争だとこう言われるようにです。ね、ロシアとアメリカの言うならばそのにらみ合いがあっておる。そのにらみ合いがあっておるおかげで、平和を維持しとるのです。ね、恐い事なんです。
 けれどもですそのにらみ合いをしておるから、実際平和は保たれておるとです。だから、ね、共産党だけの言うならばおかげじゃないけれども、その朗報がやっぱり必要だという事なのです。ね、例えば殺し合って自分の意思を達成しようと言う様なね、そういう野蛮な考え方を持っておる人間に対して、それこそ金光大神はその為に御出現になったと言うても良いのです。ね。
 世界真の平和。私は昨日高橋さんにお願いして、あの塔を塗り替えて下さい。そして合楽示現活動運動に参画させて頂こうという、そのをあの書いてもらう。そしてこの長いところには、世界真の平和という、あのあれをずっと何とか工夫して立ててもらいたい。もうまたは出来るならばです、世界人類の全ていわゆる人類の真の幸福ですかね。世界総氏子身の上安全です。いわゆる世界人類の身の上安全世界真の平話という事をね、打ち立てての生き方。
 しかもそのおかげを頂く為には、合楽が現在おかげを受けておるようなおかげを、周囲に広げて行く以外にはないんだと。それは敵もなからなければ見方もない。三角関係でもその三角のそのものが、皆おかげの頂けて行く道なんだから。ね、例えて言うとそういう大変な大きな願いを持ってです、いわば合楽示現活動というのは始められるのです。ね、ですからねそこに神と一心と言う事は言うならばその森進一なんです。
 心が三つ合わなければ、ね、天地への親神様と、金光大神と私共氏子というものの心。ね、金光大神というのを、ならここでは親先生と言うても良い訳。だからその親先生がいわば唱えるように言うておるその事をです、皆さんの生き方とさせてもらうという。しかも、それを進めて行く。その事を一つ進一である。ね、この生き方を私共が、そういう働きに参画させて下さいという願いを立てさせて頂くならばです。
 一心そういう一心を立つれば、すぐにおかげが受けられると言う事も言えれる訳です。ただ自分がおかげ頂きさえすりゃええと。自分がままになりさえすりゃええという、もうそういうね小さい時代はもう過ぎたんです合楽は。ね、そういう生き方ね、合楽を現すと言う様な生き方。示現して行くという生き方。そういう生き方がです二十五年間の間に出けた基礎の上にお徳という家を打ち建てて行くと言う事になるのです。
 お徳を受けるという時にです、お徳の前には言うならば暗いものが無くなってくると言う事です。お徳は言うならば光とするならばです、ね、光を持って行く所にいわばね、争いもないだろう、病気の根も絶えるだろう。ね、勿論貧乏するような言うならば人間の幸福の条件のすべてをたがえて行きながら。
 そしてそれをね地球上の総人類の上にその幸福を持たらさせて頂く事の為の活動をです、私共が先ず自分の足元から広げて行かなければならないと言う事になるのですね。私が言うておる事と、皆さんが一つになる。それが今日なるほど御神前で頂いた森進一という事はそう言う事であったなと。今日の御理解の36節はそう言う所からです、そういう内容を持った所から、私はね神草木でも芯というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐにおかげが受けられると言う事を聞いて頂きました。